タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

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本年も埼玉県秩父市吉田龍勢ロケット祭りにヤソトンより43名参加

1991年でしたでしょうか、当時オンエアーの世界まるごとハウマッチの番組を
ご覧頂いた、吉田町町長猪野氏の目にとまり、中国シップソンパンナの農耕文
化のなかのロケット祭り(やはり雨乞いロケット)に、興味を持ち交流すべく進め
ておられた方向を、シップソンパンナ視察同年にタイを訪れられましたのが始ま
りでした。対するヤソトン市長も4代目になりました。16年前の1993年に始まっ
た両市の国際交流も、1996年には姉妹都市宣言をするまでになりました。本
当に長い交流となりました。この間、タイ側から県内の洪水騒ぎでヤソトン県民
誰一人いかれない時も、途絶えさせてはいけないと存じまして、私の義理の両
親、友人、家族で15名ほどの訪問団を形成して、お伺いいたしましたのも3-4
年ありました。この間に当初より関係しておりましたタイ観光庁の当時東北タイ
局長をしておられ、個人的にバックアップして頂いていたアピチャート氏の努力
頂き、観光庁のバックアップを正式に頂く事も出来ました。
こんな感じでバックアップ条件を整えてきたにもかかわらず、両市の具体的交流
は、これと言ったものが現時点でもございません。両市の内部的思惑が、複雑
に絡まっておられるようです。誠に残念に存じます。実を言いますと私、アピチャ
ート氏両名は、全くのボランテイアで、両市よりの経費は一切なく私費での協力
ののですが。相互に交流協会を設立するとの話は、毎年交流の5月、10月のみ
で、その間立ち消えてしまいます。全く残念です。どちらかに本当のリーダーシ
ップを持つ方が出ると良いですね。こんな次第で年とともに引っ張ってきた者達
も年を取り思うようには出来なってきております。実は私も本年で引かせて頂く
つもりで日本に参ったのですが、結果的には、もう一年頑張ってみようかとの結
論で帰タイはしておるのですが。。。。。。。。。。。。。。どうでしょうか。。。。。。。
歴史的に吉田龍勢ロケットを見ますと、日本武尊の奉納の鉾よりの光のさまに
起因して光を飛ばす行事としてなったとされているそうです。吉田川原で大火を
焚き、その燃えさしを力の限り飛ばし祀ったようです。これが火薬の発明から竜
勢になったようです。
この吉田龍勢ロケットですが、雨乞いで高く上がるロケットが最上と考えるヤソ
トンのバンファイ、近年各所含めて事故が多く、ヤソトンでは上げるロケットを吉田
龍勢ロケットにして行こうと言う発案がなされております。折角の発案ですが、吉
田再度今一。。。。。。。。。。。。。。。。。です。なぜこうなったかと言いますと、龍
勢ロケットは、バランスを取って狙った方向に飛ばす為、長い竹の矢柄を使います
が、ロケット(火薬筒)に取り付ける背負い物、唐傘、つるし傘などを使う事で、上
空に上り詰めた時ひらひらと落ちるように仕掛けられ、近年は矢柄止めと言う落下
傘で矢柄全体をつっての安全性があることに目をつけてのものだそうです。ただ上
げてロケットそのものの美しさを見れず、打ち上げ前のパレードにそれをみせるヤソ
トンより脱却しようとしているのです。もう少し具体的協力が得られると、大きく変わ
るタイのバンファイロケットを見られるのですがね。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
火薬は、蒙古来襲時に日本武士団に、打ち込まれてロケット矢?に発祥している
と言われております。日本では元早稲田大学教授吉川氏の研究が始まっており
ます。日本、タイ、ラオス、中国の協力が得られれば大きな成果が期待できると存
じます。なにせNASAなどを興味をもたれているそうですので。農耕文化とに結びつ
いた、また竹文化に絡むことなど興味ある結果になるのでは。。。。。。。。。。。。。
更に本年は、メコンイヤーでもありますし期待の持てるアイテムではないでしょうか。
本年は、来年以降のホームステイーによる若い層を育てるプロジェクトもあり、具体
的に進めば良いと心のそこから思います。
今まで何をやってきたのか、悔いの残らぬように??????????????
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