タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

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世界に残る僻地? ミャンマ チン州のナガ族

これまで昔の援蒋ルート、太平洋戦争中に作られたレド公路のお話、世界一
小さなタロン族のお話などさせていただきました。いずれもヒマラヤ山系に連な
る自然の険しい僻地でした。まだ鎖国に近い状態のミャンマ、地方への移動は、
いろいろの拘束があります。その中には、まだロマンを感じさせるカチン州など
多くあります。私達の年齢が学生の頃、世界なんでも見てやろう的な冒険ロマ
ンが多くありました。ベトナム戦争の最中のベトナムで、伊勢海老の養殖に挑
戦した者、そしてその中には、蘭の趣味を持つ方など夢に見る黒い蘭の花があ
ると思われていたのが、このカチン州の山中でもありました。これを捜す事を目
的に、10年近くこのカチン州エリアに入った青年もおりまして、入るときには、
私達も基点となるタイからどうやって入って、どうやって出てくるかタイ在住の事
情から、関わっての話に参加したりがありました。入られて忘れてしまったほど
の長い期間、山中の移動の苦しさ、まさに山越え谷越えだったそうです。言葉に
言い尽くせぬ苦労があったようです。そしてこれが出来たのもロマンが感じられ
たからだと存じます。その後カチン最高会議議長がタイにお出でになったおり、縁
あって滞在のお手伝いをいたし、これがきっかけでレド公路、タロン族の撮影手配
が可能になった時は、当時のロマンを感じさせていただきました。但し実際に撮影
手配に関わった人からは、大きな恨みを買ったとは自覚しておりますが。でもこの
手配の中で、黒い蘭の花も手にしましたし、砂金取りへの共同出資の話が出てき
たりで、まだまだロマンはありそうですね。カチン州は、ミャンマ軍事政権のなかで
も、主たる位置を占めておりまして、雲南につながる中国、そして制裁に動いてい
る日本からの援助の窓口になり、軍事政権の中で経済的力を持ち大きな発言力
があるのも確かです。
ここでインパールにつながる僻地?、チン州サガイン区に住むナガ族についてご紹
介致します。インドにありますナガランドにつながる、このエリアに約100.000人
がおると言われております。裸族で尚且つ首狩族のナガ族が、チベット高原からミ
ャンマ北部カチン州の自然の恵みのある場所に、住み着いたものだそうです。言葉
習慣が異なり、ソンマラ地方のナガ族、タンガンナガ族、ハインミエーナガ族、サン
ーナガ族など細かく分けると百数十グループになるそうです。彼等は、村の守りと
豊作祈願として首狩を行い、首の数がナガ族勢力のステイタスだったそうです。精
霊信仰中心で家の守護神はマターと呼ばれ、数本の束ねた竹を対象としておりま
す。これに飯、濁酒など奉げて祭ります。現在宗教的には、クリスチャンが多くなっ
ておりますが、習慣は昔ながらのものを残しております。首狩りは戦いのとき、村の
守りに関して行われて対象は旅人であったようです。同時に山、森、畑等の略奪の
戦いのとき、戦闘の準備(何曜日、何日、時間、場所を正確に占い)、戦闘の武器
を決めて整え戦いに向かう。逆茂木と呼ばれる障害物なども見られ、この戦いの中
で、首を切る習慣が身命をとして戦い、戦いで命を落とした者、負けた者の首を切っ
て持ち帰る事から習慣化したという説もあります。水牛皮の盾も使用し、銅の腕輪
や鉛の肘当てなど使用し、戦闘の邪魔にならないように額を剃ってなどがみられる
そうです。この戦いでの格闘の中に相撲の取り合いなど見られるとのこと、更にリ
サーチをかけるおもしろさはありそうです。 
狩猟と言うより農耕民族と考えられ、一番大きな祭りは、1月15日の月齢新年に、
全てのナガ族が一箇所に集まってのものだそうです。ナガの戦士が踊り、ナガの
戦士は、ホーンビルの羽毛をつけ、くまなどの毛皮を見つけて着飾っての勇壮な踊り
を披露致します。戦士の中には自分がしとめた虎皮を身につけ、虎の歯のネックレス
を身に着けたりするそうです。
詳しくはお問い合わせ下さい。写真資料などもございます。
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