タイ国内にも裸族と呼ばれる民族がおりました。現在も、周りの生活がどんどん入り
込んではおりますが、他の山岳民族と変わらぬ生活をしておりますので、居りまし
たと言うのはおかしいのですが。
木の葉のお化けと呼ばれたピートンルアン、この種族はプレー県を中心とした山中
を移動して生活しておりました。一辺の木の葉を編んだ物を、一本の木で立てかけ
た住居に住み、木の葉を敷いて生活していたようです。タイ人が山中に入りますと、
そんな枯葉が残されているところから、上記のように呼ばれたようです。
南タイには、長い吹き矢に特色を持つサカイ族が、トラン県の山中で生活しておりま
したが、この種族も廻りに溶け込み生活が営まれております。
これらの種族は、有名なイバン族などと累をなす種族です。定着タイプの農耕民族
と違い、狩猟民族ですので当然定着せず、山中を獲物を求めて移動しておった為、
農耕民族にとっては不可思議な種族と思われていたようです。
存在がやっと知られるようになった頃、日本の家族との交流生活を企画した番組撮
影がありました。まず日本からお子さんを含めた家族が参られまして、アンペラ屋根
の家に住み、彼らの料理を一緒に食べ、日本の家庭料理を紹介し、大変な苦労であ
ったと存じますが生活されました。同じ家には自然霊信仰で住めない為、家?を新築
し、豚1頭、米、タバコなど喜ばれる贈り物を持ち込んでの生活でした。熱帯性低気
圧の通過など困難な撮影になりました。非常に恥ずかしがりやで、但し外部の人間
と親しくなると、それにあわせてしまう人の良さと言うか、無知な部分があり、ピートン
ルアンの人々の泣くところを見たことがありません。獲物を獲たときの喜び、約束をや
ぶった場合の話もしない怒りぐらいしか喜怒哀楽を表しません。誕生にしても葬式に
しても、全ての喜怒哀楽は狩猟如何にかかっている。水浴びは年に一回だけ。最近
は石鹸の入手、3日に一遍とか1日1回も見られるようになったらしいが。彼らがおお
喜びするのは、豚、塩、タバコを得たときだということであった。通常塩は動物と同じく
潮場の土から得ていたようであります。
このときの大変さは、お世話になったピートンルアンの家族を、日本に送る段になった
折です。彼等はタイ人と認められておらず、戸籍も身分証明書も無いパスポート申請
に要する書類は一切無し。NGOは、見世物、商売として扱うとしての批判を恐れ、通
常このような場合の処理として、日本人でも外国でパスポート紛失の場合の、渡航証
明と言う一回限りの期日限定のパスを出す方法もある。が全く保証も無く、山岳民族
センターへの登録も無く、住んでいるエリアから出る許可そのものから問題。内務省
のラインから切り崩す為、県庁に赴き県知事に面談、文化交流であり観光誘致も絡
むものであるとの観点から交渉、公文書を内務省に回してもらい、便宜供与レター手
配。これを持参して外務省に渡航証明発給のお願いをしたが却下。これでは番組が
成り立たぬ為、日本のタイロビー?の者に話を通しての再交渉?。時間がかかりま
した。然し最終的にタイ側の動きによって、なんとか受理にこぎつけ日本に行くことが
出来ました。自然の危険な音を聞き分ける為、横向きに寝るとか頭を内側に向けると
か、などなど生活習慣の違いは大きな戸惑いがあったようです。
最近では、またご紹介いたしますが、首長族の女性を日本に連れて行けないかなど
の話がでたりします。常識的には駄目なのですが、手を変え品を変えてやるグループ
もあるとか。
食などもこんな撮影の中で赤蟻の玉子料理とか、為の中に生息する竹虫(これはご
存知ですか、かぐや姫の物語、かぐや姫は竹の中から生まれます。これは竹の中の
薄い膜が、昔から不老長寿の薬効として酒筒として酒が入れられ、もち米を竹筒で
蒸し炊するとこの膜がもち米に付くことが、昔から不老長寿の達成するものとして扱わ
れていたとおり、清潔でもあるので)を食したり、甲虫の幼虫を食したり珍しいものもみ
ることができ、紹介いたしました。
込んではおりますが、他の山岳民族と変わらぬ生活をしておりますので、居りまし
たと言うのはおかしいのですが。
木の葉のお化けと呼ばれたピートンルアン、この種族はプレー県を中心とした山中
を移動して生活しておりました。一辺の木の葉を編んだ物を、一本の木で立てかけ
た住居に住み、木の葉を敷いて生活していたようです。タイ人が山中に入りますと、
そんな枯葉が残されているところから、上記のように呼ばれたようです。
南タイには、長い吹き矢に特色を持つサカイ族が、トラン県の山中で生活しておりま
したが、この種族も廻りに溶け込み生活が営まれております。
これらの種族は、有名なイバン族などと累をなす種族です。定着タイプの農耕民族
と違い、狩猟民族ですので当然定着せず、山中を獲物を求めて移動しておった為、
農耕民族にとっては不可思議な種族と思われていたようです。
存在がやっと知られるようになった頃、日本の家族との交流生活を企画した番組撮
影がありました。まず日本からお子さんを含めた家族が参られまして、アンペラ屋根
の家に住み、彼らの料理を一緒に食べ、日本の家庭料理を紹介し、大変な苦労であ
ったと存じますが生活されました。同じ家には自然霊信仰で住めない為、家?を新築
し、豚1頭、米、タバコなど喜ばれる贈り物を持ち込んでの生活でした。熱帯性低気
圧の通過など困難な撮影になりました。非常に恥ずかしがりやで、但し外部の人間
と親しくなると、それにあわせてしまう人の良さと言うか、無知な部分があり、ピートン
ルアンの人々の泣くところを見たことがありません。獲物を獲たときの喜び、約束をや
ぶった場合の話もしない怒りぐらいしか喜怒哀楽を表しません。誕生にしても葬式に
しても、全ての喜怒哀楽は狩猟如何にかかっている。水浴びは年に一回だけ。最近
は石鹸の入手、3日に一遍とか1日1回も見られるようになったらしいが。彼らがおお
喜びするのは、豚、塩、タバコを得たときだということであった。通常塩は動物と同じく
潮場の土から得ていたようであります。
このときの大変さは、お世話になったピートンルアンの家族を、日本に送る段になった
折です。彼等はタイ人と認められておらず、戸籍も身分証明書も無いパスポート申請
に要する書類は一切無し。NGOは、見世物、商売として扱うとしての批判を恐れ、通
常このような場合の処理として、日本人でも外国でパスポート紛失の場合の、渡航証
明と言う一回限りの期日限定のパスを出す方法もある。が全く保証も無く、山岳民族
センターへの登録も無く、住んでいるエリアから出る許可そのものから問題。内務省
のラインから切り崩す為、県庁に赴き県知事に面談、文化交流であり観光誘致も絡
むものであるとの観点から交渉、公文書を内務省に回してもらい、便宜供与レター手
配。これを持参して外務省に渡航証明発給のお願いをしたが却下。これでは番組が
成り立たぬ為、日本のタイロビー?の者に話を通しての再交渉?。時間がかかりま
した。然し最終的にタイ側の動きによって、なんとか受理にこぎつけ日本に行くことが
出来ました。自然の危険な音を聞き分ける為、横向きに寝るとか頭を内側に向けると
か、などなど生活習慣の違いは大きな戸惑いがあったようです。
最近では、またご紹介いたしますが、首長族の女性を日本に連れて行けないかなど
の話がでたりします。常識的には駄目なのですが、手を変え品を変えてやるグループ
もあるとか。
食などもこんな撮影の中で赤蟻の玉子料理とか、為の中に生息する竹虫(これはご
存知ですか、かぐや姫の物語、かぐや姫は竹の中から生まれます。これは竹の中の
薄い膜が、昔から不老長寿の薬効として酒筒として酒が入れられ、もち米を竹筒で
蒸し炊するとこの膜がもち米に付くことが、昔から不老長寿の達成するものとして扱わ
れていたとおり、清潔でもあるので)を食したり、甲虫の幼虫を食したり珍しいものもみ
ることができ、紹介いたしました。
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