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タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

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ミャンマ撮影行、その5.

ミャンマが続きましたが、国内のインレ湖をご紹介致したいと存じます。
ここにはインダー族がおります。インレ湖の湖の中、水上生活と船、水
上菜園、これは湖底の泥炭を掬い筏の上に積み上げ、ここにトマトなど
の菜園を作るのである。インダー族の村は、これまで4ヶ所であったが、
現在では70の村がある。インダー族の人々は仏教徒であり、結婚など
で互いの末長い幸せを祈ってパゴダを作るなど、1000のパゴダが建立
されたと言います。パゴダはタイヤイ式の3段に作られ、鳥の天使キンナ
リを表しているそうであります。文化、習慣は、タイヤイの影響が強く感じ
られるそうです。

湖での漁猟を中心とする、彼らの独特の舟のこぎ方は、船の後部に立ち、
櫂を足で漕ぐものである。漁猟は投網式が多く、うなぎ、雷魚、なまず類
が多いようであります。

彼らの独特の農業は、海底の淡水のりをとり、乾燥させて稲田をつくる、
肥料はこの海底のりが肥料となり、きゅうり、トマト、白菜、唐辛子、長い
んげんなど有機野菜栽培をしております。これらは同時に湖に立つ市に
持ち込まれ売られております。

織物工場、銀製品工場などもあり、織物はイタリアに輸出もされているそ
うです。またビルマ式シガーも村の女性たちは、1日に1000本ほど巻い
てしまうそうです。美しい自然の中生活も豊かなようです。

インレ湖のエリアは、158平方キロメートル、海抜1400メートルに位置し
ており、英国統治時代は高原の避暑地として整備されていたエリアでも
ありました。寺院としては、ワットチェデイーパオトーウーがあり、ここには
5体の仏像が安置されていたといわれ、1965年の大モンスーンでその
仏像が3メートルの湖底に沈んでしまい、村人が協力して引き上げたが、
4体にとどまり、海底にとどまる1体の仏像に絡み、雨期明けの時期10
日間の船上の仏像を祭って各村を回る行事があり、ミャンマ全土から老
若男女が集まるといわれております。またこの時期には、100人の足漕
ぎ者が乗った長船のレースが行われたりと見ものがあります。

本来であれば、外国人が一般の村に宿泊することは許されませんが、撮
影にてこのインダー族の村にホームスティーさせていただいた事がありま
したが、一緒に筏の稲田作りをさせていただいたり、足漕ぎボートレースに
出場する為、特訓を受けたり、おいしい料理を食べさせていただき、彼らの
稲田の肥えた有機栽培の、野菜のおいしさを味わさせていただきましたが、
本当に親身な対応に戻る日には、お世話になった家の子供の涙が本当に
印象的でした。やはり船の上に立って、足漕ぎのバランスをとりますのは、
本当に大変なことですね。何度も落ちられておりました。やはり少数民族
の集合体でありますミャンマ、日本の陸軍士官学校卒のアウンサンが連
合州国家を作るべく、英国から独立したが心ざしならず、暗殺されて英国
時代のカレン族政府からミャンマ族政府に変わっただけ、その後の各民族
間の抗争の結果の軍事政権、こんな政情のミャンマですが、各民族の中に
入れば暖かい歓待を受けることができます。ミャンマ語は、日本と同じ文法
で、市場に行きます=ゼイトアメー(ゼイは市場、トアメー行きます)になり、
ミャンマには驚くほど日本語の上手な方がおりますが、聞いてみると日本に
言ったことは無いとかでびっくりします。旧日本軍人もミャンマ語に長けた方
が多くいたとのことですが、こんな国でからもっとスムーズに行くことが出来
るようになる良いですね。他にも数万のパゴダのあるといわれるパガン、イン
ドように面した海岸サンドウエー、ミャンマの王都マンダレーなど、この近くに
は興味ある場所が多く見られます。パガンの近くには、イラワジイルカ(淡水
イルカ)が漁師達を漁場に導いてくれるというイラワジ川エリアもあります。

インレまではヤンゴンよりへホーまでの国内航空便の利用になります。
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