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タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

ミャンマ撮影行、その4

再び同じ山中の道なき道を、何とか戻りました。帰りは多少余裕がありまして、
イコー族などの村によりつつチェントゥンに戻り、空路タチレクに移動いたしまし
たが、あのタチレクがなんと開けた町であった感が致しました。タチレクより知り
合いのタイ入管警察の方に出迎えてもらい、メーサイに戻りました。やはりタイ
は、治安の行き届いた所ですね。この後3年ほどして、隊陸軍諜報部が私が行
ったこのルートの存在を発表いたしておりました。やはり中国名、ミャンマ名、タ
イ名を持つ麻薬王クンサー、日本軍が敗れてラオス、ミャンマ、タイの黄金の三
角地帯が、国民党の共産軍を南下を防ぎ、あわよくば大陸反抗をにらみつつ、
その軍事子金を取得すべく、アメリカCIAのバックのもと、アメリカはフライング
タイガーを飛ばし麻薬を反共を後押ししてもらった資金源とする戦いが、国民党
軍、ラオスモン族軍、ラオス左派軍の三つ巴で行われておる時、突然タイヤイ
軍を率いて参入、多くの麻薬を奪い麻薬王となりえたのだが、タイ国内、ミャンマ
国内、中国内に住居を持ち、DEAに追われながらもアメリカに娘を留学させて
いたりと、不思議な地図のエリアを押さえていた彼遠慮をしていたのかもしれま
せんね。唯一残る不可思議な国、ミャンマです。

最近のニュースでは、カレン軍司令官であり、ボーミヤ大統領も暗殺されたとあ
りました。カレンボーミヤ大統領には、彼の司令部にて何度かお逢い致しました
が、でっぷり肥ってかわいい感じの方でした。彼の宿舎の周囲には少年兵が、
ランチャーなどの完全装備で護衛に立哨しているのが、印象的でした。1月1日
が彼の誕生日にて、その時には、カチン最高議長などはじめ各少数民族の代表
者がこの地に集まります。その祭りでは、ミャンマ式ボクシング(手に布を巻いた
だけで、レフリーが2人おり、腕をたたきながらボクサーを募ります。そしてリング
に上がったものの体を比較して、その場で組み合わせを作っていきます。試合も
2人のレフリーの采配でテンポよく進められます。)、サオナンマンといって竹さお
の頂点に豚の脂身をおき、竹サオには油を塗り、絶えず油が流れている。そんな
竿の先には、賞金がつけられているという楽しい競技です。早朝のカレン女性達
の踊りあり、賑やかに3日間ほど続けられておりました。

この基地、村でしょうか、ここでは面白いものに火消し道具があります。乾季にな
りますと、からからに乾き乾燥してしまい、水利もありませんから政府軍に攻撃さ
れたりしますと、火災発生が一番の打撃になります。そこで大切な火消し道具が
工夫されております。なんと竹竿のさきにブルキ缶のイット缶と呼ばれるものでし
ょうか、そのふたをつけておいて、アンペラハウス、又はチークの葉などで葺いて
おりますから、たたいて消すという方法です。各家に一式熊手式の竹竿とこの道
具が置かれております。

商売ショーバイのネタ的ですが、ここには運び屋さんが下ります。タイ側からの商
品を背負子の一杯として、つかまれば政府軍に殺される山越えで、徒歩にてヤン
ゴンに運び込む人たちです。険しい山のふもとまで、奥さん子供が送り5-6人の
グループにて登っていく姿は、今ではどこでも見られない姿だと思います。この姿は
ここだけでなく南のビクトリアポイント(モンスーンで荒れるアンダマンを航海してい
る時に寄航する英国がなずけた岬)の近くでも見られます。

メーサイにあるカレン大使館?から許可頂き、激流の岩の多い各所に銃口が光っ
ているサルウイン川支流を遡っての、カレン司令部までの移動は結構スリルが感
じられました。逆にタイ側の検問にひっかかったり、どたばたもある思い出の撮影
行ではありました。
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