タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

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ミャンマ撮影行

これまで企画されながら、なかなか完成されない国、ミャンマ?
政情不安であったり、日本人記者が射殺されたりと目まぐるしい状況変化が
あります。こんな国ですが、近代化を広げる東南アジアの国々の中、文化的、
生活習慣など、昔ながらを残すのがミャンマではないでしょうか。

これまでもヒマラヤ山系に生活する小人族、タロン族は純血継承者は3名、そ
して年齢も今では60歳ぐらいですから、すでに亡くなっているかも知れません。
山を越え、木を渡しただけの一本橋をわたり、崖をまわり、危険と恐怖と怪我の
撮影手配もありました。

またレド行路、インパールから中国国境まで、第二次大戦中アメリカの航空隊と
英国軍が完成させた援蒋ルートですが、あのようなヒマラヤ山系の深い密林の
中、片道飛行のアメリカ航空隊が中心となって昆明近くまでの道路ですが、今だ
交易路として存在いたしております。この道をたどった撮影もありました。このエ
リアは、日本関係でも児玉機関、笹川機関などがミャンマから昆明ルート(日本
は攻撃ルート)に進出する道でもありました。現在でもカチン族が抑えております
この地域は、地下資源が豊富で欧米、日本とのつながりが深く、問題の多い軍
事政権において、唯一外国援助の中継の出来る、ミャンマ諸民族の中でも発言
力を持つところであります。私が、30代ですが、国境を越えてミャンマ領特にこの
エリアに入るとして、笹川氏の所にまいりますと当時100万円は援助いただけま
した。これは戦時中のこのエリア入りで、豊富な地下資源が埋蔵されていること
を知っていたからにならないと存じます。

今ではどうでしょうか。30代当時はカチン州の黒い蘭の花を捜す話に、入ってみ
ようかと考えたものでした。蘭については、メーミョーまで入ったことがありまして、
ここから更に北上していく路上で偶然にちせい蘭を見つけたこともありました。この
当時はマンダレーからメーミョーに向かうと検問が閉められ、都合よく戻る時また
開門するなどの経験もしました。メーミョーは、インパール作戦時の最高司令部が
置かれたところで、紫の桜のような花が町を染める美しい情景を見ました。ちせい
蘭は、そんなエリアに入り何もない山道を移動中、おトイレタイムとして休み、がた
がた道の疲れを癒す為、何気なく道の傍らにすわったところ、お尻の下にあったの
です。

マンダレー、昔の王都、英国の植民地になる前、最後の王朝のあったところですが、
ここになんと世界中のおかまさんが集まる祭りがありました。世界中でおかまさん
が、堂々と黙っていてもお金に包まれるのはミャンマだけでしょう。タウンピョンの
祭りです。日本からもおかまさんがまいりますそうです。確か8月の祭りだったと
存じます。軍事政権のミャンマ、銃殺されるというおかまさん、堂々と集まるとこ
ろが、ヤンゴン、ボジョーマーケットの一角にあります。全て美容院ですが、ここに
おりますおかまさん、ナット神の生き神様、政府の高官もお告げを聞きに祭りには
来るそうです。

 

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