タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

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東アジアエリア雨期明け時期には行事が

2009年は10月4日が雨期明けになります。
タイでも12月5日国王誕生日までの間、行事が目白押しになります。
10月23日は、タイ国近代化の父、日本ですと明治維新を達成した明治天皇
時代になりますが、現国王以前はタイ歴史の中でもっとも長い在位だったチユ
ラロンコン大王です。この時代に近代的軍制、鉄道、教育、サクデイナ制土奴隷
制度の廃止、医療その他、長い航海の末に歴訪したフランス、ロシア中心の
ヨーロッパ諸国より学び、民衆の声につなげた王様として有名でもあります。こ
の王様のサクデイナ制の廃止した記念日を祝います。現在国王、病院入院中
ですので、皇太子が代理の閲兵式もございます。タイ各地では、スリンとかナコ
ンサワンの60人乗りぐらいまでのボートレースやらが開催されております。が何と
言っても興味あるのが、雨期明け当日、メコン川が流れるラオスとの国境、ノン
カイで起る不可思議な現象、メコン川の川の中から火の玉が打ちあがるのです。
何度もタイを初めとするテレビ局が、水中のなぞを解くべく視界のきかないメコン
川にダイブするのですが、原因は附き止められません。そしてなぜ長い流域のこ
こなのでしょうか。一時は、流域の寺院の坊さんが、その日まで点火ロケットを作
って水中に潜って打ち上げる(今はなき民放ITVの製作)などの話がまことしやか
にでたり致します。例年3つほどのポイントで、40から60発以上の火の玉が飛ぶ
そうです。ヨーロッパなどからの撮影クルーも来ております。負けずに来年は挑戦
しませんか。。。。。。。。。。。。。。。。突き止められれば大変なスクープと存じます
し、本年メコンイヤーですのでその翌年と言う事もあり、大きな話題になりませんか。
それから灯篭流し、ロイカトンのお祭りが10月31日より行われます。水の女神コン
カに一年の恵みを感謝し、豊作の農産物の恵みを感謝して灯篭を流すものです。昔
は、バナナの葉と蓮のつぼみで作ったものですが、近年発泡スチロールなど作られ
川を汚す環境問題より、その灯篭は流してはならぬ規制が、一昨年あたりより厳し
くなリまして、昨年は、自然のバナナの葉、バイトンの葉などで作られ代わりました。
川筋の各所では、タイ古典舞踊のイベントがあったり、伝統的な祭りを強調し始めま
した事は良い事と存じます。整然とした祭りになれば、灯篭も流そうとして設置され
た筏が水没したりの悲惨な事故も少なくなりますから。昔から灯篭の中には、自分
の髪の毛をいれ硬貨をいれて、先祖の霊を祭る考えもあるそうですね。また若い恋
人は、流す灯篭に自分たちの将来を託す慣わしもあるそうです。他、ロブリーでは、
未亡人美人コンテストを開催したり、ぺブリーでは、頭突き相撲があったり、昔は奇
抜な楽しみも見られておりました。インターネット時代の若者には考え付かないアイ
デアでした。この時期、ラオスやカンボジアは、メコン川を有しますのでやはりボート
レースになりますね。タイも含めての3ヶ国対抗レースも多く見られます。日本、台湾
などを含めた国際レースもこれから見れると存じます。ミャンマでは、何と言ってもイ
ンレ湖で行われる足漕ぎボートレースでしょう。片足に櫂をまいて漕いでいくのです。
日頃も、湖上筏に盛られた湖底の泥炭を積み上げて、野菜、果物など栽培して、漁
猟も片足漕ぎで船を操りしています。タでは見られぬ風物詩です。雨期(安居入り)
の静かな修行三昧の暗い数ヶ月から、明けての毎日は人々に開放的楽しさを与え
ております。

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久しぶりにオカマボクサーパリンヤ撮影しました。

ここ数年遠ざかっておりましたパリンヤですが、暫く振りに撮影する事になりました。
彼が15-6歳の時位までには、当時のチェンマイ、所属ジムオーナーとの繫がりで
頻繁な取材がありました。個人的にも親しくなっておりました。バンコクにては、タレ
ントとの一騎打ちなどコーディネート致したりしました。モエタイは、確かに強かった
ですね。試合度胸良くて空中殺法が得意で、飛び上がって相手の頭にひじ打ちなど
が多く見られました。モエタイボクサーとしても、それなりに名を上げたかも知れませ
んが、オカマボクサーを売り物に、人気を持ったのは彼ならでもありました。性転換
前は、ラジャダムヌンにもルンピニにもリングに上がることが出来ました。モエタイの
リングは、日本の相撲の土俵と同じように女性は上がることが出来ません。先頃の
女性モエタイ選手も、もちろんラジャダムヌンやルンピニには上がれず、特別仕立て
のリングとなります。ですので今のパリンヤでは、ラジャダムヌンもルンピニでもリン
グの勇姿は見られません。現在は、モデリング、タレント、イベント出演など、所属の
芸能コングマリットのグラミー社の傘下で仕事をしております。ミスオカマユニバース
などに出たりしましたが、現在のタイのオカマさんの美のレベルは非常に高く、オカ
マでは秀でる事は出来ません。もっときれいなオカマがメデイアの寵児です。パリン
ヤからモエタイを取ってしまったら、只のオカマですね。残念ながら。。。。。。。。。。
ここで生い立ちを追ってみます。
名前はパリンヤ ギエットブスパー 1981年6月9日生まれの28歳
父親:バンジョン チャルンポン 68歳 母親:アンポン マニチョーク 48歳の子供
としてバンコク中央病院で生まれる。兄2人、姉1人、弟1人の5人兄弟の4番目に
なる。小学校、中学校はチェンマイのワットサンカヌア学校で、8歳よりアコム チュウ
セン氏よりモエタイを習う。そして初リングは、リングネーム インシー ダムにて1ラ
ウンド ノックアウト勝ちする。高校はバンコクで学び、16歳でルンピニ スタジアム
にあがる。リングネームは、スット ギエットブスパーで初戦相手は、ウオウエン ソ
ー ブンヨンで判定勝ち。モエタイは、70戦60勝7敗3引き分けが通算成績。
独特の化粧、白粉を塗る仕草、鏡を見る仕草の戦いの踊りは、古くからあったが誰も
踊らずパリンヤが引き継ぐかたちになり、チェルエ ケヌオング師より学ぶ。サムロイ
パーペンと呼ばれる型だそうです。
性転換は、17歳の時からはじめたそうです。避妊薬ピルを飲み続けまずホルモンの
転換をはかり、乳を盛り上げる。そして乳の整形からはじめ、性転換、喉仏除去まで
大きな投資をしてきたそうです。
モデルからはじめ、グラミー社のパリンヤ一代記ビュテフルボクサー出演などしてき
たが、現在はパタヤ、フェーテックジムのPR係、ここは外国よりの練習生が多い事か
らだそうです。
将来の夢は、パチョップキリカン県パンぶりで、自分のジムを開き子供たちにモエタ
イを教える事だそうです。
好きな食べ物は、プーパットポンカレー(蟹のカレー炒め)はじめシーフードだそうです。
今回の撮影でもまだまだ激しい動きを持っていました。
その後、チェンマイで新たなオカマボクサーでたようですが、何時の間にか消えてしま
いましたね。

本年も埼玉県秩父市吉田龍勢ロケット祭りにヤソトンより43名参加

1991年でしたでしょうか、当時オンエアーの世界まるごとハウマッチの番組を
ご覧頂いた、吉田町町長猪野氏の目にとまり、中国シップソンパンナの農耕文
化のなかのロケット祭り(やはり雨乞いロケット)に、興味を持ち交流すべく進め
ておられた方向を、シップソンパンナ視察同年にタイを訪れられましたのが始ま
りでした。対するヤソトン市長も4代目になりました。16年前の1993年に始まっ
た両市の国際交流も、1996年には姉妹都市宣言をするまでになりました。本
当に長い交流となりました。この間、タイ側から県内の洪水騒ぎでヤソトン県民
誰一人いかれない時も、途絶えさせてはいけないと存じまして、私の義理の両
親、友人、家族で15名ほどの訪問団を形成して、お伺いいたしましたのも3-4
年ありました。この間に当初より関係しておりましたタイ観光庁の当時東北タイ
局長をしておられ、個人的にバックアップして頂いていたアピチャート氏の努力
頂き、観光庁のバックアップを正式に頂く事も出来ました。
こんな感じでバックアップ条件を整えてきたにもかかわらず、両市の具体的交流
は、これと言ったものが現時点でもございません。両市の内部的思惑が、複雑
に絡まっておられるようです。誠に残念に存じます。実を言いますと私、アピチャ
ート氏両名は、全くのボランテイアで、両市よりの経費は一切なく私費での協力
ののですが。相互に交流協会を設立するとの話は、毎年交流の5月、10月のみ
で、その間立ち消えてしまいます。全く残念です。どちらかに本当のリーダーシ
ップを持つ方が出ると良いですね。こんな次第で年とともに引っ張ってきた者達
も年を取り思うようには出来なってきております。実は私も本年で引かせて頂く
つもりで日本に参ったのですが、結果的には、もう一年頑張ってみようかとの結
論で帰タイはしておるのですが。。。。。。。。。。。。。。どうでしょうか。。。。。。。
歴史的に吉田龍勢ロケットを見ますと、日本武尊の奉納の鉾よりの光のさまに
起因して光を飛ばす行事としてなったとされているそうです。吉田川原で大火を
焚き、その燃えさしを力の限り飛ばし祀ったようです。これが火薬の発明から竜
勢になったようです。
この吉田龍勢ロケットですが、雨乞いで高く上がるロケットが最上と考えるヤソ
トンのバンファイ、近年各所含めて事故が多く、ヤソトンでは上げるロケットを吉田
龍勢ロケットにして行こうと言う発案がなされております。折角の発案ですが、吉
田再度今一。。。。。。。。。。。。。。。。。です。なぜこうなったかと言いますと、龍
勢ロケットは、バランスを取って狙った方向に飛ばす為、長い竹の矢柄を使います
が、ロケット(火薬筒)に取り付ける背負い物、唐傘、つるし傘などを使う事で、上
空に上り詰めた時ひらひらと落ちるように仕掛けられ、近年は矢柄止めと言う落下
傘で矢柄全体をつっての安全性があることに目をつけてのものだそうです。ただ上
げてロケットそのものの美しさを見れず、打ち上げ前のパレードにそれをみせるヤソ
トンより脱却しようとしているのです。もう少し具体的協力が得られると、大きく変わ
るタイのバンファイロケットを見られるのですがね。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
火薬は、蒙古来襲時に日本武士団に、打ち込まれてロケット矢?に発祥している
と言われております。日本では元早稲田大学教授吉川氏の研究が始まっており
ます。日本、タイ、ラオス、中国の協力が得られれば大きな成果が期待できると存
じます。なにせNASAなどを興味をもたれているそうですので。農耕文化とに結びつ
いた、また竹文化に絡むことなど興味ある結果になるのでは。。。。。。。。。。。。。
更に本年は、メコンイヤーでもありますし期待の持てるアイテムではないでしょうか。
本年は、来年以降のホームステイーによる若い層を育てるプロジェクトもあり、具体
的に進めば良いと心のそこから思います。
今まで何をやってきたのか、悔いの残らぬように??????????????

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