タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

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タイの山岳民族、思いつくままその7

今回は、ラワ、ルアと呼ばれるワ族について思いつくまま。。。。。。。。。。。。。。
現在、メーホンソンとチェンマイに45村あります。
ワ族は、農耕中心で生活の習慣は、農耕儀礼によります。豊作祈願の首狩族でも
ありました。村を訪れる通過者の者を拉致、豊作祈願として快楽の顔の状態の時に、
首をかったそうです。
ワ族は、倭族であり彼らの習慣などみると、日本文化に近いものが感ぜられる。近
畿大学での研究では、日本とのつながりを重視した研究が進んでおられるようです。
千木彫刻、日本の数奇屋造りの屋根の形の交差、これにはエツイ孔と呼ばれるもの
があり、この穴は山か木材を運ぶときの縄かけあなである。ンニャと呼ばれる正倉院
のような高床式建物、ラフィーと呼ばれる貫頭衣、上衣は白で襟元袖元に色物の刺
繍、スカートは、草木染めで横縞になる桶状など。
ガッコという鼻緒の下駄があります。アカ族ではクノーと呼ばれ、カレン族ではレンプ
ァイと呼ばれていますが。どうやら雨季の時の履物とか。山仕事ではわらじを履くとか
が見られますが、これはわざと音を立てての蛇除けとか。
村の入り口には、防砂林のような、聖林があります。これは新年12月から1月の吉日、
村人が一部を、残りを神にと言う事で木に刺しておく事があるそうです。
豚と犬の上棟式、10本の柱を立て黒鶏の血を入れておく。
農耕場所を選ぶときには、鶏の胆嚢液を使い形の良さで判断する。
耕地の分量は、家族の男性の数による。
農耕は、男性が長い棒で30センチ間隔で穴をうがち、種入れは女性が行う。
サカン、サパイと呼ばれる彫刻された高い木の柱があるが、昔はかった首を、その後
は、牛、豚、鶏の首を掲げるものである。
校倉式神殿、農耕神、人には32の魂がやどり、頭には6つの魂がやどるとされ、現在
でもミャンマナット神信仰に近いものである。
綿繰り道具などもある。
これらから、鳥越 憲三郎氏に、雲南からの道、倭族から日本人へ、原弥生人の渡来
などの書籍が出版されております。
倭人云々と呼ばれるところは、文身断髪の点と思われます。
裁判方法として、探湯(くかたち)があり、熱湯または焼けた斧で爛れるか否かで、裁判
する方法もある。
人間を犠牲とする人身御供は、死して神となって還る、即ち犠牲にされた人間は、春の
種まきの時に行われる豊作祈願の神事で、農耕神として復活するとし、人頭祭で殺され
た人の首が祭儀の中心になっている。
サパイ、サカンと呼ばれる木柱は、犠牲獣を縛って殺す柱で、例えば犬は悪霊を追い払う
力があるとされている。
豚、鶏の血をお湯に入れて固める事が現在でもあるがこれは、血には生命があると考え
ることによる。
農耕神イコール蛇体で、これが最高神と考え、生活基盤と考えるが、これはナガ信仰に
つながるもので、頭3、5、7、9つある多頭身のこの蛇が、お釈迦様の守護神であり、タ
イでは、乾季にこのナガ神がでて水を吹きまいて人々を渇きから救ってくれる。またカン
ボジアではメコン川があり雨季には大洪水を起こす、その際に水を飲み、人々を洪水よ
り救ってくれる、これは日本のヤマタノオロチが大酒のみにつながる伝承かもしれない。
現在の寺院の屋根には、このナガ神がでんと守っている。いずれも農耕文化圏の農耕神
である。
1958年まで続いたと思われる人身御供は、
1.基本的には、部族の古老、死んで経験の豊かさが豊作をもたらす。
2.古老の数少なくなる為、他民族特に漢民族の首をかるようになる。
3.種まきの時期に生け捕り、首狩をする。
4.顔面の微笑が豊作をもたらすと考え、性交中に殺す。
5.各家に回され、口の中にご飯、肉を押し込む。
6.村の入り口に、籠に入れられたてられる。下に布袋があり銀貨が入れられるが、これ
は、首をかった者への報奨金となる。
7.首は土中に1ヶ月放られて、掘り出されるがうじが多ければ、土中に水分豊富で、そ
の年は豊作と考える。
8.1958年以後、野鼠代用し、その後犠牲獣になる。
こんな歴史があったとの事です。
日本とのつながりと、人身御供農耕神信仰はどう解釈したらよいでしょうか。

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タイの山岳民族、思いつくままその6

しばらく時間空けてしまいましたが、丁度山岳民族アカ族に関わります撮影手配
が入りました。
山岳民族は、これだけアクセスが容易になっても、まだ実際の生活では山岳民族
だからの拘束を、受けている事が多いようです。
以前調べました民族分布、メーサリエンでは、ラワ族53軒、サコーカリエンの村、
ポーカリエン40軒の村が見られる。ホットには、ラワ、黒ラフー、ロワカリエン、ポー
カリエン、サコーカリエン、カヤカリエンの村がみられる。チョムトンには、ラワ族49
軒、11軒、48軒、21軒の村がある。サンパトンには、メオ族36軒、26軒、24軒
が点在。チェンマイのドイプイには、モン族の部落が。メーテンには、21軒のモン族
の部落が。チェンダオには、35軒のモン族の村とヤオの部落が。ファンには、69軒、
13軒のヤオ族の村、チェンライ県ウエンパパオには、モン族、カレン族の村があり、
ここのモン族は白モン族。メースウエイには、ドイワウイーの奥深い山があり、アカ族、
モン族、リス族、ムソー族など多く住んだ村がある。メーチャンエリアを中心に、モン
族、ヤオ族、リス族、ラフー族、アカ族の多くの村がある。チェンコン、チェンカムのラ
オス国境には、モン族、ヤオ族、ワ族の多くの村が見られる。など山中に入り細かく
情報を集めた時がありました。
今回、その中のドイワウイー山中心のアカ族、セーチャルンのアカ族の村に入りまし
た。ローヤルプロジェクトなど多くの援助が入り、また山深いエリアから移住を余儀な
くされ、40年以上になるのですが、電気などと村の統制はタイ内務省の努力によって
整備されておりますが、教育の部分で後進性が出ております。以上により零細農業を
強いられ、収入について問題があり、生活は出来るが子供の教育費までは手が廻ら
ない。村には小学校はあるが、更に義務教育を進めるためには、山をおり、町に寄宿
しながら通学しなければならない。そこで各種ボランテイアの動きになるのであるが、
多くは宗教団体で、もろもろ魂、霊信仰の山岳民族の中に入り込み、不況をするので
あるが、その宗教に入らねば恩恵を受ける事が出来ない。非常に差別的な動きに逆
になってきてる姿が見られる。その中でタイ仏教サンガと言うより、寺院の中で仏教の
特殊性出家と言う形で、中高教育を受けさせる動きがある。仏教、僧侶を守る在家信
者が、更に出家した山岳民族少年僧に手を差し伸べているのである。少年僧になれば
托鉢にて食を得、更にお布施として現金を受け取る事が出来もする。依って少年僧の
中には、親への仕送りも出来る少年僧も居る事になる。但し数多い山岳民族の中、少
年僧の枠は厳しくチャンスは少ない。チェンマイ、チェンライ、アユタヤ、シンブリ、ソン
クラ(南タイ)など、100人単位で毎年出家をさせるのであるが、それでももれてしまう
者がでる。村の小学校では、事実先生の質の問題、通学日数などから自分の名前も
かけない者などもおり、やはり山岳民族としての悲哀も絡みます。今回、そんな村に2
年前に出来た僧侶が一人の寺院に、5人の少年僧を初めて出家させる儀式を追ったの
であるが、地方サンガ団体なども興味を示して、5月から始まる新学期には在家に戻ら
ぬ少年僧は、メースウエイのチェディールアン寺院内の中学校への進学も認められた。
村での出家式では、民族衣装を着た大人達と少年が民族楽器を先導でパレード、寺院
前で親、育てる祖母と出家の別れ、さらにその者の足を洗って、育ててもらった恩を謝し
て、その者をはじめとして親族たちによる剃髪、そして白衣に身をつつむ。村人にとって
参加するはじめの儀式、子供たちも厳粛になり、親たちの目には涙がありました。普通
ですと、選ばれた子供と親が、決められた場所に行って出家の儀式をする訳で、大部分
の村人は、初めて目にする儀式でした。
この後少年達は、親たちを先導に、黄色い衣、鉢などを持ち、本堂の中に入ります。ニッ
パ椰子葺の町にはみられない本堂の中には、すでにメースウエイ仏教サンガの長、プ
ラクルースントン僧(この方が仏教界の出家の資格を持ち、この資格者でなければ出家
資格を得られず、全国どこの寺院にも行くことが出来ず、偽僧侶扱いになってしまう事に
なる)、副サンガ長2名、寺院住職、サンガ所属僧が座し、少年たちを迎える。そして出
家のお経と10項(一般僧は、226条の守るべき戒律)の守るべき戒律の確認があり、
その後副サンガ長僧の手によって黄色い衣が着せられ、一人前の少年僧になった。そ
の後、村人たち全員のお布施で作った僧侶1日最後の食事の寄進を受けて食事をして、
僧侶へのお布施が最後に渡される。少年僧も例外でなくこのお布施を受け、最初の少年
僧としての喜びを受ける事になったはずである。少年僧といえ、母親など女性には触れら
れないことなど、僧門の規定に従い、日が高くなってからは、噛む食事を一切出来ず、流
動物のみになり、厳しい第一日になるのである。
今回の撮影においても、この出家式の後更に少年僧としての生活、与えられた勉強でき
る機会に、強く進もうという少年が2人意思表示されたし、彼らの後輩、同輩が出家した
意思と、そんな機会を得たいという希望者が多く出ていた。
山岳民族については、次回にいたし、今回は、この少年僧の話題を取り上げさせていた
だきました。

タイの山岳民族、思いつくままその5

ラフー族について、今回は記述してまいります。
ラフーシェレー族ですが、女性は前髪を剃ります。頭に6つの魂が宿ると考えと同時に、
美しさも表しているそうです。侍の月代剃りと全く同じ感じです。
ひょうたんを使った蒸留酒つくりの道具があったり、型に入れて叩き、ブローチなど銀細
工の道具があったりします。
また、一年に一回、村の中心の柱の建て替えがなされますが、その際に使用される太
鼓、独特なものがあります。
料理方法では、竹の節を中心に細工、川魚プラタキエン、プラカオをここにいれ、唐辛子
赤たまねぎ等を入れて蒸し焚きしたりします。中にもち米を入れますれば、中部タイでも
食されるカオラムという竹蒸しおこわになります。
ノックレーと言う鳥を捕獲する際、アンノウと呼ばれる鳥もち使用もあるそうです。これは
木に立てかけた竹の先50センチに鳥もちをつけるそうです。夕方、晴れの日は避けて、
5-6時ないし9-10時頃に仕掛けるそうです。
脱穀に、ホッケーのステック状のチャヨクルー又はテイーカオと呼ばれている者を使用い
たします。
新年の踊りのリーダーは、曲によって決まっている、昔は50ステップで今は7ステップ
踊りをリードしていくそうです。
日本にもあったそうですが、石、砂のない90パーセントの土を、特に女性で妊婦が好ん
でたべるそうですが、タバコと同じ効果あるそうですが ?
耳飾は、左右に1本ずつ耳たぶの穴に入れるそうで、マンサッパランの川から抜いた枝?
でしょうか、それを入れることもあるそうです。
彼らの明かり、蝋燭は蜂の巣からつくり、まず蜂の巣を煮る、汚れが沈殿し、上澄みを
容器にいれ乾燥させ、その後芯にまきつけて作るそうです。

続いてメオ(ネコ)族と呼ばれるモン族について。。。。。。。。。。。
モン族には、モンディオ(白メオ)、モンキィオ(緑メオ)と着るものなどで分けられますが、
彼等は中国チベット語族になり、約3000年前にチベット、シベリア、モンゴルから中国
に、そしてラオス、北部タイに移住してきた者で2393年ごろには、ラオスルアンプラバン
周辺にいたそうです。2526年4、000、000人居るといわれております。タイ国内には、
245村58.000人13県にいるといわれております。ぺチャブン、チェンライ、チェンマイ、
ターク県などです。
モンキィオ緑メオはローケツ染めを良くし、茶色系などは、蜂蝋を乾かして作り、布を一緒
に煮て染色。他有名な愛染めなどがある。日タイ交流の話がよく出るが、この交流につい
ては、日本の歴史に左右する産物もあったのです。例えば日本の階級制度になくてはな
らぬ着物の、朱、紺など色はタイから藍の木が送られなければ出来なかったとか、甲冑、
刀の柄や鞘には、タイから送られるエイの皮がなければなりませんでした。
モン族の家は、入り口は山に向かって反対側に作られ、7-8軒が1グループになって村
作りが始まります。そして家族構成では、一番下の子どもが家に残って、継ぐ形だそうで
す。17-18歳が結婚適齢期。母や子より年上の者、または近親の者とは結婚しないそ
うです。若い2人が知り合うのは、新年の行事、黒い布のボールを12メートルの間で男女
に分かれて投げ合う時が、結婚相手を捜す時だそうです。この時に投げられて気に入らな
ければ友人に投げ返し、ボールを投げ返してもらえない時は、1ボールに1曲歌を歌いまし
て、新年後に村人が若者にチャンスを与えてくれるそうです。
モン族の若者は、2人の嫁と10頭の馬を持つのが夢だそうです。
結婚の申し込みは、まず男性が両親に話す、女性がその後男性の両親に逢う。女性を家
にいれる。そして男性の父親が女性の父親に逢い、女性が家族の一員である事を告げる。
今度は、女性の母親が女性を連れ戻しに来て、略奪と告げる(この意味は女性に価値あ
ることを告げる)儀式があって、男性が結納を渡し正式に女性を連れ戻す。この結納は、銀
5テング(1テング378.5グラム=3.000-3.500バーツ)、直ぐ結婚できるか否かは
結納がスムーズかどうかに関わるそうです。お金が難しい場合、男性が女性の家に入り、
実働で働いて支払う事も出来るそうです。
結婚式は、男性に家で行われ、2匹の豚、鶏2-4羽、モンの酒10本が使われるそうで
す。鶏1羽はピーと言われる霊に奉げられる為テーブルに置かれ、嫁としてきて夫々が杯
を干して宴が張られる。男性側の宴が終わると、鶏2羽と酒を持参し嫁側の家に行き宴を
あげる。客と新婦が1杯ずつ杯を上げていき、20-30人場合は新婦の代理人が杯を受
けることが出来るそうです。
そして新婦を新郎の家に連れて行き無事結婚氏が終了するそうです。
出産について、子供は生まれてから3日間は、ピーと考え、この間に死んだ場合は葬式
等一切しないそうです。子供を産んで3日間は、出産婦は火の近くにおり、その後寝室に、
20日間はご飯と鶏肉のみの食事を決められるそうです。1ヶ月後普通通りの仕事と夫と
一緒に寝られるそうです。
葬式は、3発の銃を撃つことで村中に知らせるそうです。
死体の体を洗い、礼装(これは事前に妻が夫と自分の物を作っておくそうです。)を着せて、
死後の道があるので靴を履かせるそうです。鶏を殺し死体の頭の上に祭り、暑ければ羽の
下に、雨が降ったら尻尾に告げるそうです。葬式用の魂の太鼓2つあるそうです。


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