アカ族では、玉子が重要な役割を持っておりますが、アヒルの玉子は使いません。
これは天上人は、アヒルは飼っていないからです。。。。。だから鶏の玉子なのだそ
うです。結婚式、出産、新築、門の儀式、ブランコの祭りなど玉子はなくてはならぬ
ものです。
ラープムーと言う豚肉の生のミンチ料理がありますが、タマリンド軒の削りカスと豚
肉のミンチを混ぜ合わせ作られるものです。
かゆみ止めなんだと存じますが。。。。。。。何と蜂の巣を砕いてなすり鶴のだそう
です。。。。。。。。
アカ族は字を持たないのですが、これは、字は焼いて食べてしまったので、腹の中に
納められているそうです。アカ族は、自分の腹の中に字があると信じております。
これから英国の植民地時代には、ミャンまでは政権まで持っていた、人口分布の多い
カレン族について記します。
カレン族は、カレンポーとカレンサコーとおり、服などで判別できる。
カレンの少女は、年頃になると織物を習い、自分が着るものは自分で織り、カレンは
アカと黄色を好む。また母系家族で、男性の母親は結婚式の時のみ力があると言わ
れております。これは、女性が男性の母親に伺いを立てる、然し結婚をしてしまうと、
男性は女性の家に従う事になるそうです。結婚のお伺いは、3回男性の母親に持っ
ていけるそうです。但し結婚すると、まず女性側が男性を迎え宴を張る。そして米の
粉を互いに交換するが、これはカレンの人々は、米を人間と同じと考えている為であ
るそうです。続いて男性は、全身の水浴びをして女性の作った服に着替える。その後
女性が、男性の注いだ酒をを飲む。そして少女時代の白い服をきがえるが、これは、
これで少女時代には戻れることを意味しているそうです。同時に若い男性がしている
長く髪を伸ばして、まとめて脇に下げ、。特別には赤い布で巻いているものを、切る事
で成人扱い同時にされるそうです。この後男性は最低2年は、女性の家にいることに
なります。
カレンの部落にまいりますと、黒豚を飼っているのが多くみられますが、これは娘が
初潮を迎えると飼うもので、売るためではなく娘の結婚式で食べる為だそうです。
カレンでは、使役用の象、牛、ス牛を飼育しますが、鶏、アヒル、豚は一般的はほとん
ど飼っておりません。ですから黒豚がいると若い娘がいるを知ります。またかレン族に
は、夜這いの習慣があり、若い娘のいる家の娘の部屋には、床にこぶしが入るほどの
穴があいておるそうです。そこから手を入れると恋している者同士は、手を見るだけで
恋しい男性とわかるようです。因みに結婚式で使う豚は、女性4匹、男性1匹の豚だ
そうで、他に鶏2羽、そして男性が家に入るとき2羽だそうです。
カレン族は、ティビィーゴビィーと言う言葉があり、西方ゴビ砂漠よりきたと考えられて
いるそうです。タイにはアユタヤ時代18世紀に来た様で、600-1000メートルに好
んで住んでいるようです。カレンの家の相続は母系で長女になります。
カレンの新年は、昔は互いに水を掛け合う仏教的ソンクラン水掛祭りだったそうですが、
現在では、豚を殺して料理を作り、長老の家でサイシン(聖糸)を巻いてもらい、車座で
歌い、酒を酌み交わし、アカもち米で作った餅菓子と、米と黒豆を笹の葉に包み蒸した
菓子(カオトアダム)を食し合うそうです。
カレンは、狩猟民族であり、タプラコと呼ばれる鳥仕掛け、ウと言われる田ネズミ捕り、
野鶏鳥の道具など、他の山岳民族に見られない高度なものをもっております。弓矢も
ウイリアムテル式な物です。
織物も木の根、カムヤックの木の皮を煮て、綿の木からとった糸を染色して、家の柱に
丸い棒を通した簡易な織機で織っていきます。
ミャンマ国境にまいりますと、カヤカレン族、カレンコーヤオと呼ばれる首長族も見られ
ます。首長族は、9歳で2-3の輪をつけ、1年ごとに1-2の輪を増やし、35歳まで
増やしていくそうです。ですから、ある程度のお金を持っていないと駄目ですね。。。。
輪をつけるのは、満月の日だそうです。歴史的には、ナガという龍に近ずきたい思い
と、昔ミャンマとの戦闘があり、情勢が連れ去られるのを、奇異な姿で防ぐ意味もあっ
たようです。
カレンの酒つくりは、瓢箪と餅米で作られます。まず餅米を粉にし、唐辛子、カーとい
う生姜系でしょうか、これを混ぜて3日間おきます。その後2晩水につけ、さらに5晩
寝かせて、瓢箪にいれ下から炭火で煮立てる。瓢箪の口に竹筒のあてがい壷に蒸
気をいれる。壷は水を張った盥状ににおいておき、冷やして酒つくり。
シロカレン族は、おたまじゃくしを食べるそうですよ。。。。。。。。。
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思いつくまま羅列して行きます、最近、山岳民族の面白さ、日本との類似性、生活の
知恵など忘れ去られておりますね。以前の世界まるごとハウマッチ、なるほどザワー
ルドの番組があった時には、ディレクターの方も事前にロケハンをしたりしての番組作り
で、豊富なネタが上がり、その後何年かは、そのネタが生きた番組作りがなされており
まして、面白いネタの提供が出来ました。時代は変わったと言えおもしろいものは、お
もしろいですね。。。。。。。。。。
今回は、興味あるネタを多く持つアカ族(イコー族)について、思いつくままに。。。。。。
山岳民族の家屋は、多くは大家族の住める家になっており、山の上の気候的寒さもあ
るので、日本の東北を思わせる囲炉裏が、家の中心にあります。アカ族の結婚式は、こ
の囲炉裏の煤がキーカマオと呼ばれ、祝いとして使われるわけですが、お祝いに集まっ
た人々が、この囲炉裏の煤を顔に擦り付けます。村長を初め身寄りの者が中心になって
擦り付けます。また新郎新婦に対して黒い手で餅米を握り投げあいます。
また山の上の貴重な水、竹筒の中に水をいれそれを背負って、新郎の家に新婦は入る
ことになります。
髪に関する考え方にも、山岳民族には独特の考えを持っており、祈祷師が絡む生活上
の仕来たりになり、アカ族、ムスーダム族では、山刀の包丁を利用して、板(まな板)で
髪をあげてきる断髪の習慣があります。またメオ族では髪が長いということが、生活上の
力を持ち、祈祷師にもなれることから、このメオにはギネスブックで世界一髪の長い(確か
8メートルだった)兄弟もおりまして、日本にもお連れ致しました。女性は長い髪で結い上
げ大河髪が短い場合は、死人の髪を切って足したといわれます。
住む家と言うことについても、農耕民族の定置と言う考えが重なりまして、その判断方法
に特別な事があります。村に入る入り口には、必ず門があるが旅立ちの卵と言う習慣が
あり、3回耳の高さからゆで卵を落とし割れない場合は、移ろうとする場所はよくないと、
移動せず。若し割れて広く散った場合は移ろうとする場所は特に良い土地と考えるそう
です。厳しい自然条件の中での生活の方法かと存じます。15歳以下の子供も村から出
る場合は、ゆで卵で3回門を叩いてから出るそうです。
どの山岳民族にもあるのですが、夜這いのコキュウキン(ピィウマイと呼ばれる)、葉ないし
竹で作り、合図によって若い2人はどこで逢うか告げるそうですよ。。ロマンチックですね。
先程結婚式について書きましたが、アカ族の結婚は60バーツのお金、酒1本、鶏半羽と、
新婦側が結婚の宴を持つ事で成立、黒い餅米の投げ合いは長老の一言で止めるそうで
すが、そうでないと段々エスカレートしてしまうのではないでしょうか。アカ族では、2号さ
んをもつ決まりもあるそうですよ。2号さんを持とうとする場合、本妻は何もいえないそうで
す。但しこれを防ぐ方法が決められており、本妻から240バーツのお金、酒1本を渡した
場合には2号さんになれないそうです。本妻を夫が切る場合は、本妻に1.330バーツの
お金を渡すと成立、但し本妻に13年間子供が生まれていない場合は、本妻に750バーツ
渡し、村に1.330バーツ払うと成立するそうです。
結婚式は、3日間、結納は25バーツと酒1本だそうですが、最初新郎の弟が、鶏、ひょう
たんに水、もち米、玉子を持って先導して2回出入りする。花嫁は白いズボンに白い服と
頭掛けをする。家に入るとまず鶏を一組の箸で新郎新婦が食べ、別々の部屋に入り黒い
餅米を投げ合うそうです。長老の一言で終了、その後新郎の母親、新婦、新郎の3人が、
一部屋に入り豚の脚を3回食べさせる儀式があるそうです。アカ族は、男女の部屋が決め
られております。
興味深い事は、日本で馴染みの納豆があることです。乾燥された納豆は、保存食として
全ての料理に使われております。大豆を醗酵させ、糸を引き出すと唐辛子、塩、野草を入
れ細かく叩く、それをラワンの葉などにのばして挟み、天日干しする。食する時は、煮立て
たお湯の中に割って入れたり、炒め物に割って入れたりして食べるそうです。
アカ族は、1851年太平天国の乱の折、アカ族が反乱を起こして、現在に地に住むように
なったとの事にて、モン族、ラフー族は芥子栽培の為高地に住むが、1200メートルほどの
山尾根に住むようになったとの事です。
彼らが豚鶏を飼うのは、祭儀や占いの為といわれており、イエックジュと呼ばれる女性に
よるブランコは、農耕呪術にとって大切な行事であり、外部の者が参加できないアンタッ
チャブルなものであります。
村の入り口には、門が設置されておりまして、外部の者も必ずこの門を通過せねばなら
ず、うっかり入ってしまったら大変な事になります。まして入った早々、子供が大病をした
となりますと、我々は悪霊になり、村人よりひどい仕打ちを受ける事になります。十分に
注意を要することです。毎年新しい門が作られ、前夜村中の夫婦は性交してはならず、
妊娠中の女性のいる家族全員全ての行事に参加できず、門が出来るまで誰も外部から
村に入れず、若し入る場合は、鶏を奉げ、柱の下に米と玉子を入れなければならないそ
うです。
思いつくままに書いていってみます。整理はまた後で。。。。。。。。。。。
今回は、リス族について書いてみます。
まずは、地酒についてですが、彼らはコーンウィスキーを作りますが、酵母菌代わりと
して、ねぎ、唐辛子、ニンニク、数種の野草を発酵させたものを使います。とうもろこし
と木の皮を盥か木の桶に入れて、15-20日間ねかせて作ります。格好痛さを感じる
程の焼酎味です。木の皮など使っておりますので、中にゴミのようなものが浮いてい
たり、なれない人には抵抗あるかもしれません。但し酒飲みはそんなもの恐れず。。。。
でしょうか?これに絡んでは、不思議な思い出が私にはありました。丁度リス族の新年
の撮影だったのですが、村長さんと何度かの交渉の末、何とか許可頂き明日から撮影
と言う事で、私だけメースエイの町に下りまして、子供たちに上げるお菓子やら乾燥食
材を購入、その晩は町に泊まりました。翌朝早朝、村に戻る為山道を移動中、山の中
腹のところで、大木が倒れ道をふさいでおり、片側は崖片側は急斜面にっちもさっちも
行かない状況になりました。やもう得ず山を下り、聞いた回り道で2時間近く予定を遅れ
村に着きました。ところが、新年の行事が始まるべき賑やかさがなければならぬのに、
それがなく静まり返っております。どうした事かと村長のところにまいりましたら、問題
は、我々であり犯してはならぬ事をしてしまった訳です。それは残ったスタッフが、誘わ
れるままに夫が出稼ぎに出ている既婚女性と、同衾してしまったのです。山岳民族は、
未婚女性については、フリーセックス的考え方で、若し結果的に子供が出来てしまって
も、神からの授かり物として村中で育てるぐらいです。然しながら高額なお金を払った妻
の不倫は、当事者も同じ民族同士であれば、同族の中ではどこに行っても受け入れて
もらえない重い罰を受けます。それをやってしまったわけですから、大問題です。3名が
当方の当事者、撮影どころではありません。彼らにしてみるとリスだからと見下げての
行為と考えております。こんな時には来る時の大木と言い、いやはやでした。仕方なく
村長と副村長(祈祷師)と3人で話し合い、彼らの新年行事でもあり、お金で解決する
しかないと思い心を込めて折衝3時間ほどの経過の後、手打ちになりました。しかし副
村長は若いだけに、我慢がならなかったのでしょう、常に付きまといまして俺たちを馬
鹿にしているが、俺なりの報復方法はあるぞ。。。。。とこのとうもろこし酒を集中的に飲
まされました。私も個人的には、心霊と言うもの信じておりましたので、酒を口に含んで
は、見えないところで吐き出しておりましたが、3度に1回は飲み込まざるを得ませんで、
結果的には恨みの釘を入れられました。。。。。。。。?心霊についてはまた別の機会に
お話を。然しこの撮影では、狩猟民族リス族の、生活習慣を紹介するのに大切な狩猟シ
ーンのおり、獲物の周りに火を放ち追い込んで捕獲するのですが、この際撮影クルーが
放った火に囲まれ全員が九死に一生を得ております。女性リポーターは、その恐ろしさ
に震え泣きしておりました。こんなとうもろこし酒の思い出があります。
狩猟民族ですが、女性は、生き物を殺してはならない事になっております。狩猟には、彼
らルップーと言う石弓を使います。石はかたちが一定しておりませんので、だんだん粘土
を使用するようになったようです。猟のチームは、8-9人から20-30人、犬と人が組み
野豚、鹿、トカゲなどだそうです。雨の後の足跡から動物の種類など判断、大型動物は、
糞の乾き具合などみるそうです。使用する銃は自分で作り、400バーツぐらいの経費で
作ってしまうそうです。
毒にも薬にもなるという言葉ありますね。。。。。。リス族では、銀が薬代わりになります
し、死ぬ間際には銀のコインを数って飲ませるそうです。またヤオ族ですが、恨みつらみ
を話さぬようにでしょうか、死ぬ間際コインを口に含ませます。タイ語でハーム プーツ
マーク文字通り、多くを話すな!
占いは、鶏の骨で新年、1年を占います。また結婚式では、豚は焼くか煮るだけ、野菜
を入れると夫婦別れすると信じられている。離婚の考え方はイスラムに似ているところが
あり、1回2回は、離婚宣言しても呼び戻せるが3回目は呼び戻せないそうです。
興味ある言い伝えは、遠い昔2人の兄弟の弟が。。。。日本に行き建国。。。。。したと
いわれており、日本はリス族の国。。。。。。。。?
これまでラオスの高地ラオ人、モン族について、説明する機会が多かったのですが、
ラオス山岳民族は、ラオスと言う国の中で結構なステイタスを持っております。
タイの山岳民族と申しますと、タイ人との間で格差が大きく、自然霊信仰など自然の
中ではその厳しさゆえに生活の支えになるのですが、交通が発達してタイ人社会と
の集団生活交流が、高まると共に後進性を見るようになっており、自分たちの殻の
中に閉じこもってしまう事も多いようです。
まず祖先は犬だったと言う里見八犬伝的昔話を持つ、ヤオ族から見てまいりたいと
存じます。ヤオの祖先は犬だったと言う昔話は、6人の姉妹が犬と結婚、6人目の
妹が祖先と考え、現在でも祭られているところからきている。
またヤオの花嫁は、日本式結婚式の角隠しと同じと考えられるもので、頭を覆って
おります。棒で枠を作り蝋と蜂蜜で髪を作り、糸瓜をかぶり竹で枠を作り、赤い布で
前を隠すものである。結婚式は旧正月前が良く、その後はアンラッキーと考えている
そうで、角隠しは1週間はそのまま高い枕で寝て、糸瓜は取らないそうです。今では
この角隠しを貸し出す商売も出てきたそうです。やはり近代化の波が押し寄せ、新し
い年代には、伝統が伝わっていないのでしょうね。
この結婚式、ハネムーンハウスなるものも存在、花嫁は直ぐに家に入らず最低1-2
泊は竹で作られたここに泊まるそうです。
女性は、15-6歳より蝋と豚の油と蜂蜜で糸瓜を入れて髪を固め、人前で外すのは
恥ずかしいと考えていたそうです。現在では蝋とか豚の油を使用せず、黒い絶縁テー
プをまいているそうですが。こうしている頭に竹で枠を作り、赤い布を使って角隠しを
つくるようです。
結婚式には、約60.000バーツ結納金、結婚式経費に掛かるそうです。竹ノ家を
2軒作り、鶏3羽、餅米から醸造した酒など揃え、宴席を設けタバコ,茶を整え、太鼓
で新夫を呼び、夕方には30バーツを新婦の両親に渡したり、盛大に結婚式は行われ
れます。
頭をこのようにしている女性は、常に頭掻き棒を持っており、頭が痒い時にはそれを
差し込んで掻いております。この棒、豚又は牛の骨で作られております。
生活の知恵では、筍よりパルプを作っていた事もあるそうです。現在は桑の木のよう
ですが。このパルプ、マイホックと言う木を削いで煮る、そして石灰、キンマークの実
をいれて更に煮て、木を刳り貫いた所に入れ打つ、水を入れ腐らせ、漉き取り籠に広
げ、更に水につけ、漉き取り天日乾しをして作り出すそうです。布地に貼り付け一緒に
折事もあるそうです。
穂掻棒もあり、これは同じものが日本の弥生時代の発掘遺品に見られるそうです。
魂の信仰なのですが、入り口に唐辛子を立てておくと、ピーと言う悪霊は入らないと
信じられているそうです。
ヤオ族は、中国語の読み書きできる者多くいるようです。12支は、同じで以下の通り。
スウーイ ねずみ
サオ 牛
イェン トラ
マオ ウサギ
チャン 竜
スウーイ ヘビ
フーム 馬
ムウーイ 羊
シェン 猿
ヨー 鶏
フット 犬
ホォーイ 豚
となります。
人気のお守り、インドを発祥とする身に着けるお守りが*****
厚く仏教を信仰するタイ、国教と定めるかなどの論議もあったが、私たちは仏教徒!
政治は間違いをを起こす、仏教を侵される事が有ってはならない。タイの君主は、仏
教の擁護者でなければならいとの規定があるが、もちろん信教の自由のある国でも
あり、王妃の言葉で終結してしまった。
こんなタイで、誰もが身につけているお守り、小さなお守りがベンツ1台と交換出来る
価値があったり、このお守りを入手する為、殺人事件が起こったりする程。大きな交
通があったりして、大破して乗客が全員即死と思われた中で、一人だけ軽症で助か
った者が出たりすると、人の興味はその者がどんな仏像をしていたのかになる。また
商売上のトラブルなどで殺し屋が登場、然し狙った相手は、M-16のタマが当ったが
肉まで達せず、本人は衝撃で気絶したが、死にも至らずぴんぴんしているなどのニュ
ースに接すると、その仏像を求める人が、その仏像を鋳造している寺院に殺到、その
押し合いで踏まれて死人が出たなど、訳のわからない事になる。書店には、そんな
数多い仏像の、評価額を載せた仏教マガジンが飛ぶように売れている。またバンコク
市内のターパチャン通りには、そんな仏像の売買する小さな店が、数百件軒を並べて
いたりする。
特に、現在のような不況の波に現れている時、人々はこのお守りに大きく託すところ
がみられる。こんな時、日本の明治天皇と同じ近代化政策を進めた、ラマ5世王、チユ
ラロンコン大王は、ラマ9世が長くなりましたが、歴代の王様で在位年数が長く、教育
鉄道、軍、医療、生活様式の近代化を計ったと言うことで、タイ国民の厚い信望が今
でもあるが、タイを今でも見守ってくれていると信じ、商売の神として数多くの場所で、
その写真、像が祀られている。毎日赤いバラの花を奉げ、商売繁盛をお祈りしている。
この仏像のお守りを持っていると1体、100年を過ぎたものは、200.000バーツの
値が最低でもついている。日本の江戸末期に当る時代の高僧、ソムデットアチャント
オーと呼ばれ高僧の仏像は、今では1.000.000バーツをくだらないとの事。たか
がお守りと言えないところがある。
2007年突然として価値が高まったお守りがある。これなどは、地元経済に大きく貢
献までしている。商売が繁盛する、長い事が叶う、お金持ちになれるなど大きなご利
益があると広まり、今から22年前に鋳造されたこの像は、39バーツが無料だったそう
で、ナコンシータマラートと言う、アユタヤ時代活躍したと言われる山田長政に関わりの
あるところだけで、信望されていただけの仏像だったが、商売が大成功した、暴漢に撃
たれたが無償だったなどの話が広まり、少しずつ限定の像が鋳造されるようになってき
て、2005年には大ブームになった。2007年の4月には、この像の予約受付に、一万
人を超える信者が集まり、女性が圧死、数十人が負傷するような惨事にまでなった。因
みに第一代は、1。000.000.-バーツの価値があるとか。仏像販売者、寺院では、
このブームで、大量の像を鋳造、ひとつの型で300.000個、1個100-500バーツで
売られ、売り上げ総額1億バーツになったものをある。チュタカムラムテープと言うこの仏
像、推定でタイの人口に匹敵する6000万個が国内に出回っていると言う事である。
但しこの経済効果は、すごく販売広告の出版社、新聞社、テレビ局の広告収入、金箔
細工職人、総本山ナコンシータマラートのマハタート寺院を、訪れる多数の信者によって、
ホテルの客室稼働率はパンク状態、寺院を訪れる信者の白い服を売る衣料店まで売り
上げが上がるというほどである。
2008年中間期よりこのブームも、供給過剰と偽物横行で、一夜の夢的感を見せている
ようであるが。
タイ人の中では、数多くの仏像のお守りがあり、チュタカムラムテープでは、踊らされた感
はあったようであるが、衰えてはいない。少しでもご利益のあるものを必死で捜しまくって
いる。入手した仏像、傍観に襲われても銃弾は当らないなど、実際に銃で撃ってみたり、
捜し方には正常でないものを感じるが、実際の目のあたりにする効果は、一概に詰らぬ
事とは言いがたいものがある。
自身も2度大きな交通事故にあったが、最初は140キロで十輪トラックの後ろから追突、
マイクロは前部が押し込まれるようにみるも無残な姿、でも幸いに乗っていた運転手を
含めた5人には死人も出ず、自力で車の外に。遅れてきた救急隊員が、お前らはどんな
仏像をしているのかが第一声であった。このときは事実2人の日本人が、入院しただけ
であったが。助手席に座っていたタイ人、その時完全に死んだと思ったのですが、ぶつ
かる瞬間、老人が自分の前を横に動き、彼はそれにあわせて体を動かし、運転手の後
に体を移動させ、ぺちゃんこの前席、わずかに足のかかとを挟まれただけですんだとの
後日談もあった。つい最近は、2008年12月国立自然公園内にて、山道移動中、崖に転
落、同乗の友人が一人即死と言う事故であり、同乗者は肩を脱臼など、助手席にいた自
分は全くの無傷でした。この時も、救急隊員の言葉は、何の仏像をしているんだ?
2009年は、メコンイヤーです。
トンレメコンのカンボジア、メーナームコンのタイ、ソンクローンのベトナム、メーナムコンの
ラオス、メイカウンメェッツのミャンマ、4800キロに及ぶ雄大な大河です。
最近では上流部で中国がダムをつくり、自然体系が大きく変わろうとしております。世界
最大の淡水魚プラブクナマズなども捕獲できなくなり、雄大な流れの神秘さも失われよう
としています。
そんな中で、大変な危機にさらされているといわれる世界経済の中、このメコンイヤーを
機会として、ミャンマモールメインからタイ東北部、第二メコン国際橋ラオスサワナケット、
そしてベトナムダナンを結ぶ東西経済回廊、物流が約3-4日で結ばれます。また南部
経済回廊として、バンコクからプノンペン、ホーチミンルートは大きな経済効果があると言
われております。
番組撮影と言う分野で、いろいろと絡んでおりますが、雲南、シップソンパンナーからメコ
ンを下ったり、ミャンマ山田長政の末裔の町だったとも言われたチェントゥーン、タイミャン
マの国境タチレク/メサイ、脱北者ルートだったチェンセンそしてラオス、ホエサイからルア
ンプラバンにかけての巨大淡水魚プラブク、ラオス木材集積地タケー、サワナケット。サワ
ナケットからは、タイとベトナム国境の最短距離のエリアでベトナム戦争当時は、北爆の
対象エリアでもあったわけで、ベトナム戦後このエリアからは莫大な爆弾鉄が集められて、
粗悪なロシア鉄とあわせ、タイにて再製鉄の上ラオスに持ち帰られたほどでした。更に南
下致しますと、パクセに、ここには世界で7番目の滝があり、この滝は横に20キロとナイ
アガラのように、メコン川が広く流れ注ぎ、照りの強い雄大な落ち込む姿が見られます。こ
の滝があった為ラオスにフランスの大軍が入る事が出来ず、滝のサイドにトロッコが設置
され、西欧の植民地政策の形の違ったものとなたようです。タイの存在も大きかったと存じ
ます。メコンは、その後カンボジア領に入りますが、タイチョンメックを過ぎたあたりより、淡
水いるかを見る事が出来、以前は太陽が上がる中、この淡水イルカが、ジャンプする姿を
見た人々がまるで竜が蛇行している姿にみえ、長い間神話的話が語り伝えられていたよ
うです。一時シンボルマークだったフジテレビがここで撮影を実行したこともあったようです。
カンボジアに抜けたメコン川は、メコンデルタを形成するベトナムに流れ込んでまいります。
このメコンデルタには、ミト、カントなど水上市場など形成する生活圏を生み出しております
が、メコンの肥沃な沖積平野は大きな恵みを生み出しております。
メコンの恵みは、経由するラオスでも南ラオス、パクセでは湿潤なメコンの影響下の気候は、
フランス統治時代からのラオスコーヒーを大きな産業として支えてもおります。この機会に、
流域のベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマのコーヒーを一堂に会して、飲み比べる
のもメコンの恵みを比較することにならないでしょうか。ラオスでは、ダオルアンと言う方が、
肝っ玉母さんよろしく頑張っておられ、今では国境の免税店を一挙に取り仕切るほどにまで
なっております。撮影でお伺いいたしましたが、日本びいきで娘さんのお部屋は日本風に、
ベトナムコーヒーブームもあり、日本への進出も視野に入れられております。カンボジアの
コーヒーも一味違うようですので、面白い展開になるのではないでしょうか。
2月2日のカオソック紙に電気人間なる方が登場。素手で電線の銅線を
掴んでコンセントに差込み電灯に明かりを!普通であればショートしてし
まう。感電もせずのスントン ケットゥキット氏。
電気関係者は眉唾物 ?
最近ではこのような話題は、余り聞きません。タイの人々開発されていく
中で、本来の人間として持っている力が現れなくなってきているようです。
以前は、あのドリアンを頭で受けるサイユーおじさん、日本にも何度も行き
ましたが、その本当の実力を見せずじまい。一度は、スタジオの天井のラ
イトが目に入り、落ちてくるドリアンを側頭部で受けてしまい、一筋の血が
白いシャツに。これでオンエアーは出来ず。また最後の日本行きの際は、
12月31日の大晦日から新年のカウントダウン、寒いスタジオスタンバイ
でしたが、結局出演の機会なく1月1日にタイに帰国と相成りました。また
ゆで卵を50個も食べたプーチョンさん、実際は電力局の公務員なのですが
こんな特技が。ドリフタ-ズの志村ケンが確か10個食べれず嘔吐してしま
った程なのだが、プーチョンさんは何と日本で50個の記録を樹立。健康には
良くないのだが、プーチョンさんは平気で挑戦する。霊付きのソムチャイさん
は、タバコに火をつけずタバコをすって口から煙が。外気温と口中温の違い
がそれをさせるとか。日本に言った時、深夜急に霊がおり、このままにして
おくと理解できない日本では、気違い病院に入れられてしまうと皆で大慌て、
何とか押さえ込んでいた。このとき一緒に言ったのが、当時世界一髪の長い
モン族の祈祷師の兄弟、何とかならないかとお願いするが、霊には勝てない
とか?線香をあげてその臭いで霊が降りちゃったらしい。ひとり皆から離れて
いた中国系タイ人アムヌアイさん、彼は蛍光灯の橋渡り、若し割れるとガスが
飛び散り、大怪我に。もう一人、刀の階段を上り下りするチャルンさん。その後
娘さんが私の会社で働く事に。何かこんな人たちと家族的付き合いになって
しまいました。これらの人は、皆手が大きく指が太く、目が深くくぼみ、唇が厚
く、鼻が大きくどんと控えている。純粋なタイ族の人々といわれていた。
今では、皆スマートに、ハンサムになりいい男やいい女が多くなってきて、野
生的な面は見られなくなっておりますね。
このような方たちから学んだ事は、人間と言うのは本来病気を治す力、自然と
向き合う知識など多くを持っていて、栄養のある自然の食べ物を見い出す力
があったと言う事を知らされた。現代は何もかも形が作られて判断する事も必
要とせず、病気になれば医者に、そして薬に頼る、合わせて副作用に苦しめ
られる。このようになってしまった為人間としての強さが見られなくなってしま
った。本来は治癒力を備えていたものを。
何年か前、TBSの番組に、超人コロシアムと言う番組があり、世界中から特
異人間が集まっておりましたね。楽屋も楽しかったです。アイルランドの方は、
オナラで音楽を奏で、タイツのパウダーが見事に打ち上げられて?おりました。
この番組では、他の国が扱けますとタイで何とかならいか、と毎回言われる程
ネタは豊富でしたね。今はどうでしょうか?
また捜してみましょうかね!