タイで30年 テレビ・CM製作のコーディネーター タイミカサ

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ミャンマ撮影行、その6

ミャンマ、ミャンマと続きまして恐縮ですが。
ミャンマには、変わった仏像もありますね。
メガネをかけた仏像、ニシキヘビですがヘビにまかれた仏像などです。
メガネをかけた仏像は、独裁者といわれたネーウイン元首相の出身地でもある、
ピイーというところにあります。白を主体にあでやかなミャンマ式仏像ですが、メ
ガネをかけて鎮座しております。なんともユーモラスでした。信者は何の違和感
も無く敬虔な祈りを奉げておりました。
マンダレーのPALIKE TOWNにありますYADANARBAMUNI PAGODAは、
人々がスネークパゴダと呼んでおります。ここにはBOACONSTRICTORと言う
種の蛇がパゴダ内の仏像に絡み付いている為です。7フィート、8フィート、10フィ
ートの長さの蛇が、正確に何時からと解らず住み着いているそうです。パゴダの
管理者は、毎日11時になるとプールで水浴びさせ餌を与えているそうです。餌は
1キロのミルクと5個の卵を与え、更に5日間は1.2キロの魚をも与えているそう
です。餌を食べた後、1時間ほどリラックスし、またパゴダ内の仏像にまきついて
いるそうです。仏像の冠にまきついている蛇、仏体に巻きついた蛇と何か神秘さ
を感じますね。
蛇絡みのお話でしたのでもうひとつ動物からみのネタをご披露します。何年か前
メコン川の淡水イルカが話題になりました。昔からタイ東北部のウボンラチャタニの
辺りでは、ある時期、接するメコン川に龍が出ると騒がれまして、タイテレビ5チャン
ネルの撮影グループが、何年も張り付いてそのなぞに迫ろうとしたりしていましたが、
結局それは淡水イルカが何頭か続いて飛び跳ねているのが、シルエット的に龍に見
えていたのだとの結論がでました。その後イルカはフジテレビのイメージとの事にて、
このイルカの撮影に来たりがありました。これは、タイウボンラチャタニ、古代壁画が
あるチョンメックエリアでした。
このイルカは、イラワジ淡水イルカと呼ばれるイルカで、しばしばミャンマ国境メーホン
ソンに接するイラワジ川支流などでも見られたピンクイルカ情報があったものです。こ
のイラワジイルカは、海からイラワジ川を遡り住み着くようになったとミャンマの人々は
思われているようです。寿命は40年程、そして10頭程の子供を産むと言われており
ます。このイラワジイルカ、特にパガン、ミングウオンの鐘で有名なエリアに住むイル
カは、漁師とイルカの心温まる交流がみられます。漁師達を漁場に導き、水面に直立
の姿をとり、後方の水面をたたいて漁場であることを知らせます。これは水面を叩く事
で魚の動きが変わり、漁師にとっては大漁に繋がる訳です。漁師たちも直ぐに網を上
げずイルカが食べ終わるのを待ちます。イルカは食べ終わると、また直立姿勢をとり、
戻っていくそうです。もちろん他の漁師の中には、虐待するものもいるそうです。どこの
国も同じですね。
まだ軍事政権下の鎖国にちかいミャンマは、文化、習慣、動物、植物などの自然が数
多く残されておると思います。小人族タロン、インパール国境の裸族人食い族、海の
ジプシーモーケン族(この種族はモンゴリアン系ですが、長い歴史の中で一度南下し
インドネシア地域から帰巣本能のように、小船で大洋を北上して、タイ南部からミャンマ
南部まで、嵐の時にはボートから海に入り船の転覆を避けたり、海の知恵で乗り切っ
てきた。また20メートルほどす潜りする為、遠目世界一とも言われております。)など
興味深いです。また石油の素堀りのエリアなど地下資源も豊富にあると思われます。

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ミャンマ撮影行、その5.

ミャンマが続きましたが、国内のインレ湖をご紹介致したいと存じます。
ここにはインダー族がおります。インレ湖の湖の中、水上生活と船、水
上菜園、これは湖底の泥炭を掬い筏の上に積み上げ、ここにトマトなど
の菜園を作るのである。インダー族の村は、これまで4ヶ所であったが、
現在では70の村がある。インダー族の人々は仏教徒であり、結婚など
で互いの末長い幸せを祈ってパゴダを作るなど、1000のパゴダが建立
されたと言います。パゴダはタイヤイ式の3段に作られ、鳥の天使キンナ
リを表しているそうであります。文化、習慣は、タイヤイの影響が強く感じ
られるそうです。

湖での漁猟を中心とする、彼らの独特の舟のこぎ方は、船の後部に立ち、
櫂を足で漕ぐものである。漁猟は投網式が多く、うなぎ、雷魚、なまず類
が多いようであります。

彼らの独特の農業は、海底の淡水のりをとり、乾燥させて稲田をつくる、
肥料はこの海底のりが肥料となり、きゅうり、トマト、白菜、唐辛子、長い
んげんなど有機野菜栽培をしております。これらは同時に湖に立つ市に
持ち込まれ売られております。

織物工場、銀製品工場などもあり、織物はイタリアに輸出もされているそ
うです。またビルマ式シガーも村の女性たちは、1日に1000本ほど巻い
てしまうそうです。美しい自然の中生活も豊かなようです。

インレ湖のエリアは、158平方キロメートル、海抜1400メートルに位置し
ており、英国統治時代は高原の避暑地として整備されていたエリアでも
ありました。寺院としては、ワットチェデイーパオトーウーがあり、ここには
5体の仏像が安置されていたといわれ、1965年の大モンスーンでその
仏像が3メートルの湖底に沈んでしまい、村人が協力して引き上げたが、
4体にとどまり、海底にとどまる1体の仏像に絡み、雨期明けの時期10
日間の船上の仏像を祭って各村を回る行事があり、ミャンマ全土から老
若男女が集まるといわれております。またこの時期には、100人の足漕
ぎ者が乗った長船のレースが行われたりと見ものがあります。

本来であれば、外国人が一般の村に宿泊することは許されませんが、撮
影にてこのインダー族の村にホームスティーさせていただいた事がありま
したが、一緒に筏の稲田作りをさせていただいたり、足漕ぎボートレースに
出場する為、特訓を受けたり、おいしい料理を食べさせていただき、彼らの
稲田の肥えた有機栽培の、野菜のおいしさを味わさせていただきましたが、
本当に親身な対応に戻る日には、お世話になった家の子供の涙が本当に
印象的でした。やはり船の上に立って、足漕ぎのバランスをとりますのは、
本当に大変なことですね。何度も落ちられておりました。やはり少数民族
の集合体でありますミャンマ、日本の陸軍士官学校卒のアウンサンが連
合州国家を作るべく、英国から独立したが心ざしならず、暗殺されて英国
時代のカレン族政府からミャンマ族政府に変わっただけ、その後の各民族
間の抗争の結果の軍事政権、こんな政情のミャンマですが、各民族の中に
入れば暖かい歓待を受けることができます。ミャンマ語は、日本と同じ文法
で、市場に行きます=ゼイトアメー(ゼイは市場、トアメー行きます)になり、
ミャンマには驚くほど日本語の上手な方がおりますが、聞いてみると日本に
言ったことは無いとかでびっくりします。旧日本軍人もミャンマ語に長けた方
が多くいたとのことですが、こんな国でからもっとスムーズに行くことが出来
るようになる良いですね。他にも数万のパゴダのあるといわれるパガン、イン
ドように面した海岸サンドウエー、ミャンマの王都マンダレーなど、この近くに
は興味ある場所が多く見られます。パガンの近くには、イラワジイルカ(淡水
イルカ)が漁師達を漁場に導いてくれるというイラワジ川エリアもあります。

インレまではヤンゴンよりへホーまでの国内航空便の利用になります。

ミャンマ撮影行、その4

再び同じ山中の道なき道を、何とか戻りました。帰りは多少余裕がありまして、
イコー族などの村によりつつチェントゥンに戻り、空路タチレクに移動いたしまし
たが、あのタチレクがなんと開けた町であった感が致しました。タチレクより知り
合いのタイ入管警察の方に出迎えてもらい、メーサイに戻りました。やはりタイ
は、治安の行き届いた所ですね。この後3年ほどして、隊陸軍諜報部が私が行
ったこのルートの存在を発表いたしておりました。やはり中国名、ミャンマ名、タ
イ名を持つ麻薬王クンサー、日本軍が敗れてラオス、ミャンマ、タイの黄金の三
角地帯が、国民党の共産軍を南下を防ぎ、あわよくば大陸反抗をにらみつつ、
その軍事子金を取得すべく、アメリカCIAのバックのもと、アメリカはフライング
タイガーを飛ばし麻薬を反共を後押ししてもらった資金源とする戦いが、国民党
軍、ラオスモン族軍、ラオス左派軍の三つ巴で行われておる時、突然タイヤイ
軍を率いて参入、多くの麻薬を奪い麻薬王となりえたのだが、タイ国内、ミャンマ
国内、中国内に住居を持ち、DEAに追われながらもアメリカに娘を留学させて
いたりと、不思議な地図のエリアを押さえていた彼遠慮をしていたのかもしれま
せんね。唯一残る不可思議な国、ミャンマです。

最近のニュースでは、カレン軍司令官であり、ボーミヤ大統領も暗殺されたとあ
りました。カレンボーミヤ大統領には、彼の司令部にて何度かお逢い致しました
が、でっぷり肥ってかわいい感じの方でした。彼の宿舎の周囲には少年兵が、
ランチャーなどの完全装備で護衛に立哨しているのが、印象的でした。1月1日
が彼の誕生日にて、その時には、カチン最高議長などはじめ各少数民族の代表
者がこの地に集まります。その祭りでは、ミャンマ式ボクシング(手に布を巻いた
だけで、レフリーが2人おり、腕をたたきながらボクサーを募ります。そしてリング
に上がったものの体を比較して、その場で組み合わせを作っていきます。試合も
2人のレフリーの采配でテンポよく進められます。)、サオナンマンといって竹さお
の頂点に豚の脂身をおき、竹サオには油を塗り、絶えず油が流れている。そんな
竿の先には、賞金がつけられているという楽しい競技です。早朝のカレン女性達
の踊りあり、賑やかに3日間ほど続けられておりました。

この基地、村でしょうか、ここでは面白いものに火消し道具があります。乾季にな
りますと、からからに乾き乾燥してしまい、水利もありませんから政府軍に攻撃さ
れたりしますと、火災発生が一番の打撃になります。そこで大切な火消し道具が
工夫されております。なんと竹竿のさきにブルキ缶のイット缶と呼ばれるものでし
ょうか、そのふたをつけておいて、アンペラハウス、又はチークの葉などで葺いて
おりますから、たたいて消すという方法です。各家に一式熊手式の竹竿とこの道
具が置かれております。

商売ショーバイのネタ的ですが、ここには運び屋さんが下ります。タイ側からの商
品を背負子の一杯として、つかまれば政府軍に殺される山越えで、徒歩にてヤン
ゴンに運び込む人たちです。険しい山のふもとまで、奥さん子供が送り5-6人の
グループにて登っていく姿は、今ではどこでも見られない姿だと思います。この姿は
ここだけでなく南のビクトリアポイント(モンスーンで荒れるアンダマンを航海してい
る時に寄航する英国がなずけた岬)の近くでも見られます。

メーサイにあるカレン大使館?から許可頂き、激流の岩の多い各所に銃口が光っ
ているサルウイン川支流を遡っての、カレン司令部までの移動は結構スリルが感
じられました。逆にタイ側の検問にひっかかったり、どたばたもある思い出の撮影
行ではありました。

ミャンマ撮影行、その3

ミャンマに、メーサイ、タチレク、チュントゥンとはいりました。チェントゥンでは、中華料理と
言っても、珍しい雲南料理、味は塩しか使いません。やはり保存食の考え方から来てい
るのでしょうね。これまでもエビ醤、カピなどは馴染みが塩辛として魚の内臓など、経験
食しておりました。ここでは肉醤としてハムが出てまいりました。しょっぱいのですが、熱
いご飯似合いました。このハムと高菜など炒めますと珍品です。こんなひと時の後向かっ
た全く先のわからない、情報も全く無いワンラー屁の旅の前半は、不安とそして大きな岩
の道は、回りに何も見えず死の道をすすんでいるようななんともいえない気持ち、山道に
掛かり、左手は断崖絶壁、運転を間違えれば死の谷底に、ぼろぼろの車とチュントゥンか
ら来てくれたタイヤイ族のおじさんに頼るしかない。流れはタチレクには入った時から、自
分の意思にかかわらず段取りが進んでいる、エーイ、くそなるようになれ。。。。。。。。。
ままよと思うしかないのか。と。。。。。。遮るように、道の真ん中に丸太が渡されているで
はないか。おーい、どうしたというまもなくアカーを持った一群にとりまかれる。なんだなん
だと思うまもなく銃でつつかれる。おーい、話が違うぞ!見えない手配者に日本語でコン
プレーンする。運転手が車から降りて近くにあったアンペラ小屋に半身いれ、なにやら話
を。訳の解らない内に出発。もう何も言わない、ここまで来てしまった以上どうすることも、
引き返すことを出来ないと悟る。次の検問は規模が大きく20名近い軍人?がいて、同じ
同じ繰り返し、ここまで来ると肝も据わりどうにでもなれと開き直り?。でも何ともこれまで
のミャンマ国境などで味わった雰囲気とは違う。タチレクの人間信じてよかったのかなあー
と後悔。何とか通過。

もう黙って進むのみ、何があってもどうにでもなれ、後には戻れない行くしかないのだ。

更なる山道を下ったとだろうか。。。。。。。突然。。。熱いコンクリート舗装道路が目の前
に現れた。何だこれはと思うまもなく検問がまた。。。。。。。。しかし今度はこれまでとち
ょっと違う。検問の兵士も鋭い顔、目。襟に赤いマフラーを巻き、ふくそうもしっかりしている
し、これまでのだれたミャンマ兵士?とは違う。こんなことは予め行っておいてくれよ。全く。
本部のような?建物に連れ込まれる。ミャンマ語ではない、わかんない。件のおじさんここ
ではじめて書類らしきものをだして、指差して説明中、隊長らしき者がじっと見つめてくる。
隊長は英語が出来、話しかけてくれた。修行中の占い師に遭いに来たとは言えず、やれ
やれ。。。。。。。。。。なんとかワーデンアカワ族の連中とわかる。なんとかやりとりしてワ
ンラーに行きたい旨解り合える?彼からすればなんで訳の解らぬ日本人が紛れ込んだの
だろうと思ったはず。

俺だって来たくはなかったよ。。。。。でも行きがかり上仕方なく?

何とかその後、コンクリート道路を今までとは違う快適さで一路ワンラーに。。。。。。。。。

そのワンラーですが、凄い、本当に凄い、こんな山奥に一大パラダイスが。。。。。。。。。
このワンラーには、デラックスホテルが数軒、すべて賭博場がマカオのように。。。。。。。
ホテル、街中の劇場では、ロシア人のストリッパーショーが。。。。。。。。。。。。。。。。。
そして100台近い中国の観光バスがずらり。。。。。。。。。聞いてみるとシップソンパンナー
とか雲南からの観光客とか。。。。。。。何とも言えません。麻薬王の力を見せ付けられまし
。全く。しょうがないここに一泊するより仕方ないか。。。。。。このまままた未開地に戻るのは
いやになりましたよ。

ところで捜していた山中で修行中の占い師は、どこに。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。?
なんとデイナー劇場ストリップ小屋の前に占い台を出して占い中、商い中でした。いやはや全く
また来た道を戻るのは本当にいやになりました。












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